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2022年7月5日2 分

グランドレベル革命 ② 街ぎわプレイスの現状

街ぎわプレイスの現状を確認してみると、街なかの幹線道路では電線地中化により、電柱がない場所が増えました。歩道は広くなり舗装材も新しくなり、街路樹も立派になりました。確かに街並みは綺麗になったと言えます。

オフィスビルの1階には、午後3時には営業を取りやめ、賑わいを阻害するとされた銀行ではなく、洒落たカフェなどの店舗が入居するようになりました。広場や駅前にはパブリックアートもふえました。無粋と言われた工事現場の仮囲いもデザインされるようになりました。街並みは美しくなったのですが、その反面、道端の屋台はそのほとんどが取り締まられて姿を消してしまいました。路上ライブ・ストリートダンスや大道芸などのパフォーマンス行為は規制の対象となり、予め設定されたスペースでのみ可能になっています。ボール遊びについては、路上はもちろん公園でも禁止されることが増えました。このように、どんどん締め付けが厳しくなり、飲食やスポーツはお金を払って消費者の役割を果たさなければ、街なかでは過ごせなくなってきています。高層ビルに付帯する公開空地は原則的に営業行為が規制される為、人が佇むことなく、殺風景になってしまっています。

いつの間にか公共スペースにおいて様々な禁止事項を課されることに違和感を覚えなくなり、都市では消費に依存したライフスタイルを従順に受け入れるようになっています。都市計画家のヤン・ゲールが「良い街には、歩いていない人が、溢れている」と言う知見を述べていますが、私たちの公共スペースは、かえって不自由になっているのではないでしょうか。

日本人はルールが定められると、それに従いながら工夫を重ねる反面、敢えてルールをはみ出したり新たなルールを作ったりする事が苦手なようです。さらに言うと自分が我慢しているルールに関しては「自粛警察」のように、他人にも強要する圧力をかけようとします。

一方でコロナ禍により密状態が敬遠され、外部空間活用への関心が高まりました。行政では公共空間の有効利用に向け、公園・水辺などの民間運営が促進される潮流が顕著になっています。道路行政においてもMaaS &自動運転を睨み、駅前広場を含む道路活用が検討され始めました。これまで「官」「民」それぞれの領域の中で、独自の論理で利用されてきた街ぎわプレイスを再編成する必要があるようです。