【内容】
古来、「道」は生活の場だった
戦後のモータリゼーションによる変化
再び「ウォーキング」の奨励
1.古来、「道」は生活の場だった
「ウィーカブル」を考えるために「道」についての、沿革を整理します。
江戸時代、100万人の人口を抱えた江戸の街は、諸藩の武士や出稼ぎ労働者などが集まり、男女比が8:2と極端な男性偏重の社会でした。
江戸で暮らすシングル男子を最大顧客にして、「棒手振り」と言う移動販売サービスがありました。
路上を売り場にして食材・惣菜から日用品までなんでも売り歩く商売で、魚や野菜だけでなく、蕎麦、天ぷら、おでんなどの食料品から金魚、鈴虫、風鈴まで、路上での多彩な商売が浮世絵にも描かれています。
江戸時代初期は路上が生業の活躍する市場だったのです。
そんな商売の名残りで、昭和40年代まではパン、ラーメン、豆腐、焼き芋などの移動販売が残っていました。
同様に路地では、打ち水、向こう三軒両隣の掃除などの生活マナーや、道端に縁台を持ち出し将棋やトランプなどの生活風景の舞台になっていました。
このように、古来「道」は、生活の場だったのです。
2.戦後のモータリゼーションによる変化
「欧米は広場の文化、日本は道の文化」と言われてきました。。
日本では大路(おおじ)や寺社の境内や河川敷などが、ニーズに対応して広場の機能や役割を果たしてきまし、横丁や路地は、私と公の部分が混ざり合う緩やかな空間として、コミュニティが生まれ育つ場所でした。
ところが、戦後のモータリゼーションによる自動車の氾濫が、それまで人が中心であった道を、自動車中心の道路へと作り替えてしまうのです。
大路では、人々にとっての広場空間が奪われることになり、路地は防災上の不安や、高齢化や老朽化に伴う建て替えなどで、存続の危機に直面しています。
「不燃化し道路率を高める」という都市政策の基本スタンスと「自動車を円滑に通行させる」という道路行政とのタッグが、いつの間にか「公共スペースはお上のモノ(=使ってはいけない場所)」という意識を定着させてしまったのです。
3.再び「ウォーキング」の奨励
ウォーキングトレイルとは「歩きを楽しむ道づくり」のことで、アメリカやイギリス、ドイツ、オーストリアで実施さてれていました。
特にドイツでは、19世紀中頃にイギリスから「アルピニズム(山登り、ロッククライミングなど)」が持ち込まれて以来、森谷林の道を歩く人たちによって設立された協会によって、農道や林道を「ウォーキングトレイル」として整備・維持されていました。
ウォーキングトレイルは、道の整備であると共に、歴史的な景観や環境保全への配慮を重視しました。
中世の街並みの保存・維持を徹底したドイツの「〇〇街道」では、世界中から観光客を集めるようになっています。
日本では当時の建設省(現国交省)によって、ドイツの事例を参考にして、1990年台後半から本格的にウォーキングトレイルの整備が始まります。
ウォーキングトレイル事業は下記の2つの方向に大別されます。
歴史文化:歴史的な事物や文化施設、景観・自然を生かす街づくりの核となるもの。
健康づくり:ウォーキングによる健康づくりをまちづくりの核にしたもの。
さらに近年は、「ウォーカブル」な道路活用に関する動きが、活発化します。
まちなかウォーカブル推進事業(2019年):「車中心から人中心の道作り」に改めるための施策で、全国で312自治体が「ウォーカブル推進都市」に手を挙げています。
道路占用コロナ特例措置(2020年):コロナ禍における飲食店支援のための緊急措置で、飲食店などによる、道路利用の許可を緩和しました。全国で150の自治体、350の事例があります。
歩行者利便推進制度【ほこみち】(2020年):指定された道路に関して、オープンカフェなどを設置しやすくなる制度。
これまで車中心・通勤動線だった「道路」を、「人々が心地よく過ごす場所、街中の魅力をつなぎ合わせる場所」として見つめ直し、再定義しようという流れになっています。
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