【内容】
1.お祭りの起源
2.お祭りの変遷
1.お祭りの起源
お祭りの起源は 「天の岩戸隠れ」とされています。
太陽神であるアマテラスが、弟のスサノオの傍若無人な振る舞いに怒り、天の岩戸の中に、隠れ引きこもってしまいます。
太陽神が隠れてしまったため、世界が闇に閉ざされて困った八百万の神々は、何とか彼女に出て来てもらおうと策を凝らします。
アメノウズメと言う女神が、音曲に合わせて踊り、大いに笑い盛り上がると、天照が岩戸の中から顔を出し、世界には再び光が戻ったと言うエピソードです。
このエピソードは、「お祭り=神様を自分たちのところにお招きするための宴」で、人間が神をもてなすために行う日本のお祭りの「原型」と言えます。
2.お祭りの変遷
①「祭政一致」の古代社会では、宮中に祖先の霊を呼び起こして、「ご信託」を得るための政(まつりごと)として行われていました。
また農民たちによって、願いや民間信仰のために行われるものもあり、日本各地では、様々な形態でお祭りが行われていました。
②6世紀に仏教が伝来し神仏習合が進むと、神社が神様だけでなく、仏様も祀るところとなり、お祭りもまた様々な意味を持つようになりました。
③江戸時代になると、お祭りはすっかり庶民の娯楽として定着し、神輿や山車の行列、獅子舞や花火大会など、現代に続く催しが多く見られるようになります。
盆踊りや七夕祭りなど仏教伝来の行事や、武将たちの戦勝を祈願したもの、疫病の沈静化を願ったものなど、新しい由緒の祭りもだんだん生まれるようになりました。
④明治維新とともに、政府から発せられた「神仏分離令」によって、祭りの歴史は大きく変わります。
神道のみを国民の精神的な要にする「国家神道」を推進する明治政府は、仏教と神道を切り離した上に、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教弾圧を行います。
単に神社から仏像絵を廃棄しただけでなく、寺院の領地没収や仏教行事の禁止など、日本からあらゆる仏教要素を消していきました。
さらに、神社は国家の管理下に置かれ、伊勢神宮を頂点にして、天皇と関係の深い順に、神社のくらいを定める「社格制度」や、複数の神社を統廃合する「神社合祀」などが、押し進められます。
仏教行事に由来した「お祭り」はもちろん、神仏両方を祀っていたものや、伝統あるものまで、様々な祭りが、この時期の政策で消滅してしまいました。
⑤終戦後、 GHQにより国家神道は解体され、政教分離が唱えられます。
神道と仏教はまた新たに別々の宗教として位置づけられ、伝統を引き継いだ人たちによって、いくつかの祭りも復興しました。
高度成長期の「お祭り」は、宗派に関係なく、多くの人が集まり盛り上がるようになります。
一方で、「お祭り」そのものが、単なる大衆の「観光イベント」と化しているところも見られるようになります。
⑥そして、超成熟社会に入り、人口減少に伴う担い手不足で、消滅の危機に瀕しているお祭りが多数あるという状況に至っています。
時代の政策に翻弄されながらも生き抜いてきた、「日本のお祭り」ですが、その根っこの部分が失われてしまったのではないでしょうか?
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