【内容】
1.「〇〇不足」の根本原因
2.日常と非日常とのズレ
3.誰のためのお祭りなのか?
1.「〇〇不足」の根本原因
「お祭りの魅力・効用」と同様に、「お祭りの課題」として挙げられるの、下記の4点です。
①人手不足
②資金不足
③宣伝不足
④アイディア不足
では、何故このような「〇〇不足」に陥るのでしょうか?
お祭りの魅力が、「日常の中の、非日常性によるガス抜き」だとするなら、この「日常と非日常との関係の変化」が、原因と言えるのではないでしょうか?
元々「まつり」は、地域共同体のもので、地域の中で行われ、地域の人が参加し、地域の人が見るものでした。
ですから、そこで許される(騒音、喧嘩、器物の破損などの)非日常の範囲について、地域の中で了解ができていました。
また、ハメを外しすぎた若者には、大人や長老が叱りつけるという形でコントロールが可能でした。
2.日常と非日常とのズレ
しかし人々の移動が盛んになるにつれて、まずお祭りの「観客」に地域外の人間が増えてきます。
このお祭りの観光化は、「東北三大祭り」をはじめ、戦後の多くの有名なお祭りが経験することになりました。
次に1980年代にはいると、多くの祭りで「参加者やパフォーマー」にも、地域外の人間が、取り込まれるようになります。
さらに、「阿波踊り」や「よさこい」「エイサー」「郡上おどり」など、祭りの「舞台」そのものが、地域を飛び出し、全国に広がるようになりました。
こうなると、かつての地域のお祭りのように、その場の全員が、「非日常性を受け入れ、共有」している状況ではありません。
その結果、参加者や観客の非日常と、周辺住民や一般社会の日常とを、無理矢理同居させることになり、「何らかの軋轢」を生むことは避けられなくなります。
この状況を避けるために、ドームや公園などの閉鎖された空間に隔離してしまえば、祭りの非日常性は、一般的なコンサート程度に薄められてしまいます。
また非日常を強制的に排除すると、「地下に潜る形」で実現され、コントロールが効かなくなります。
3.誰のためのお祭りなのか?
この日常と非日常との関係のズレが、お祭りの意義を歪(いびつ)にしています。
「ねぶた祭り」を事業として考えると、コロナ前は一週間に280万人以上の人を集め、GDPの1%を生み出していました。
それでも活動費の2億円の4分の1は補助金で賄われていたのです。
ねぶたの山車の協賛費は、一台当たり600万円と言われます。
ねぶた師が一年かけて作り、材料費や制作費が含まれるため、十分な人件費が残る訳ではないのですが、ねぶた師が儲けていると、イベント感覚で考える地元民も多いと言います。
各地の保存会は、①祭りでの披露②学校などでの教育③記録・保存、を行っていますが、基本的には無償です。
「神事に関わる人に、対価を払う」と言う考え方が浸透していない訳です。
国指定の文化財になると、手厚い補助を受けられますが、学術評価が必要で、変更に厳しい規制がかかります。
県の登録文化財は、間口が広い代わりに、補助対象は、修理などへの一部に限られます。
日常と非日常がズレた状況で、誰のための、何のための「お祭り」なのか?が、あやふやになっていることが、課題の根本原因だと考えます。
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