【内容】
都市社会とは「脳化社会」
情報処理ではなく「シン情報化」が必要
「自然」に触れることで、世界を広げる
1.都市社会とは、「脳化社会」
「身体性の重要性」について意識し出したのは、解剖学者の養老孟司氏の「都市化というのは、脳化社会と同義です。そして脳は『浸っている時間が長いモノを現実』として認識する傾向があります。テレビ、お金など、そのことばかり考えていると、それが当人にとっての『現実』になります。自分のことばかり考えると、自分イコール現実世界になってしまうのです。」というコメントからでした。いわゆるフィルターバブル現象で、ネット上での視野狭窄現象が、リアルな都市でも現実化していると言うことでした。
都市化いうのは、自然を排除するということです。
脳(意識)で考えたモノを具体的な形にした世界、脳がコントロールできるモノだけで埋め尽くした世界が、「都市」だと言うことです。
本当は感覚的に動いて、理屈は後追いなのに、コントロールしていると勘違いしているため、脳は感覚や身体を含む「自然」が気に入らず、排除しようとします。
「自然」と都市、「感覚」と理屈、「身体」と脳。前者がどんどん駆逐されて、後者が支配する世界になりつつあります。「世界は半分になってしまった」と養老氏が指摘する理由です。
2.情報処理ではなく「シン情報化」の必要性
本来の意味の「情報化」とは、五感から入ってきたものを、情報に変えて人に伝える事、つまり「現物を情報化する事」だと言われます。
既に情報になったモノ・人の意図や意思が入ったモノを、どう扱うかは「情報処理」として区別すべきで、その意味で現代は正確には「情報処理社会」と言うべきかも知れません。
そして情報を処理するのであれば、 AI の方が得意で、もうすぐ情報処理に関する事柄や仕事は AIに置き換えられてしまうのではないでしょうか。
ですから本当の意味での「シン情報化」能力を鍛えておく必要があるのですが、自然から離れて感覚の入力が衰えているため、身体のことは置き去りにして、理屈だけで考える癖がついてしまっています。見ている様で見えていない、在っても感じられないのが現代人なのです。
3.自然に触れることは、世界を広げること。
「人間とは何か?」と問われると、究極的には「直径0.2ミリの受精卵」で、それが自然〈=山、海、田んぼ〉から取ってきたものを食べて、大人(自分)になっていく訳です。
ですから山、海、田んぼは、「将来の自分」なのだと言えます。このように考えると、「環境問題の自分事化」が可能ではないでしょうか。
「いじめ」についても、昔からあったのですが、当時はいろいろと逃れる場所がありました。ところが都市、理屈、脳が支配する世界になり「世界は半分」なってしまった現代社会では、逃げ場がなくなり「いじめ」が厳しく感じられるようになりました。
人間の世界にもプラス面とマイナス面があり、自然にもプラス・マイナスがあります。大切なことは、外に出ることによって、現実世界を広げることなのです。
自分の外からくるものに、もうちょっと現実感を持たせる必要があるのではないでしょうか。情報処理ばかりではなく、五感で自然を感じて、シン情報化できる身体づくりと、それを実現できる街づくりが、必要ではないでしょうか。
このシリーズでは、このような認識をもとに、身体性を取り戻す「身体ルネサンス」の街づくりについて検討します。
Comments