【内容】
セレンディピティの重要性
出会いの意味
関係する姿勢の整え方
1.セレンディピティの重要性
スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授は1999年に「計画された偶発性理論」において「人生におけるキャリアの8割は、偶然の出会いから築かれる」と言う研究報告をしてセレンディピティの重要性を説いています。
セレンディピティは、「偶然の出来事や出会いを活かす力」と定義されます。
「夢よりもチャンスが大切」や「幸福の女神には、前髪しかない」など、昔からの箴言にあるように、「出会い」を生かす姿勢が重要だと言うことです。
セレンディピティを有効に機能させるためには、どのような姿勢が必要なのでしょうか?
2.「出会い」の意味
教育人間学において「出会い」とは、「予期せず訪れ、その人の生き方を突然変える様な出来事」と定義されています。
単に「会う」だけではなく、その人の生き方を変えるような出来事になるには、まず「予期せず訪れる」必要があるとされています。
人は予想してしまうと、そのインパクトを和らげるための防御体制を取ります。それは身体も脳も外部刺激を軽減・排除することで、自身の変化を最小限に止めようと言う体制になるからです。
現代はあらゆる事を予め検索して調べ、口コミで確認し、「失敗の最小化」に努めようとします。ある意味で「出会い」の機会を減少させていると言えるのではないでしょうか。
次に相手との関係が大切です。
上下関係では、遠慮や卑下などの心のバイアスが、出会いのインパクトを弱めてしまいます。基本的にはフラットな「我と汝の様な実存関係」が必要なのです。
出会いを有効にする為には、「その時」「その場所」「あなたと私」を受容する姿勢が必要です。「いつでも」「どこでも」「誰とでも」を志向する現代社会では、意識的に作っていく必要があるかも知れません。
3.関係する姿勢の整え方
「学び」や「出会い」が当人の姿勢次第である事がわかります。そしてこれを鍛えるに、古来では仏教や武道における修行として、そして近年では演劇やダンス分野を中心に、様々な方策が模索されてきました。
姿勢の整え方について、いくつかの修練法を例示したいと思います。
(ア) 息の文化:個人が意識的に形成する身体感覚
教育学者の齋藤孝氏が提唱するのが、「腰肚文化、息の文化による中心感覚」の醸成です。武道などで提唱されてきたように、型の反復練習を通じて、丹田を意識しながらの腹式呼吸により、身体の中心感覚を大切にしようと言うもので、「呼吸入門」と言う著書が話題になりました。
そして「息を合わせる」と言う行為を通じて、他者への対応や他者との距離感覚を養うと提案しています。各自が持っている「テンポ」の表層表現とそのすり合わせを「息の文化」と捉えています。
その延長に古来 剣道などで使われた「先の先」と言う感覚があります。「先の先」とは、剣道において、相手の打ち込もうと言う気持ちを認めて、相手が仕掛けないうちにこちらから動作を起こして、打ち込んでいくことです。
相手の潜在レベルでの発現を感知し、動作に移すと言う究極の身体感受性を表す言葉になります。
(イ) 話しかけのレッスン:相互作用の中で、結果的に形成されてくる身体感覚
演劇家の竹内敏晴氏は、偶発的な他者との関わりのうちに起こる無意識の働きかけに重点を置いて、「話しかけのレッスン」を提案しています。
声には方向性と感触の違いがあるとして、「声が届く」とはどの様なコトなのか?を考えます。
意識が自分の内側に向かっている間は、相手に声が届くことはなく、出会いの契機にもならないと言います。
体操と演技との間に、この意識の向きによる一線を引き、「演技するときに体操の次元の動きを持ち込めば、演技は死ぬ。」とも言っています。
上記の「個人が意識的に形成する身体感覚」と言う視点も、「相互作用の中で、結果的に形成されてくる身体感覚」と言う視点も、「複雑なリアル社会において要求されるコミュニケーション力」を養う為に重要なアプローチであると考えます。
「提供側」と「受容側」との関係が再構築される必要があります。
客だから、消費者だから、商品・サービスを提供されて当たり前と言う関係は、一度築かれてしまうと、なかなか再構築することは難しいのです。そしてこの関係・姿勢でいる限り、感動も出会いも学びも成長を生まれません。その意味で新しくフラットになれる関係づくりのきっかけとして「出会い」は極めて重要です。祭り、フェス、アート、キャンパスなど日常とは異なる状況が有効かも知れません。「出会いに拓かれる」為には、今、他者や世界を味わう姿勢が必要です。
「出会い」とは「外に拓く姿勢」から生まれる事象と言えます。
Yorumlar