仏教には、「いかに生きるべきか」についての方向性を示した東洋哲学的な側面があります。しかも実践方策も含めて体系化された実践哲学であり、欧米でもマインドフルネスとして、そのエッセンスが取り入れられています。これを踏まえたお寺の価値を考えます。
【内容】
「いま・ここ・私」のあり方を説く仏教
「道」から学ぶ、持続的な価値観継承の仕組み
西洋哲学と仏教(=東洋哲学)との違いを超えて
1.「いま・ここ・私」のあり方を説く仏教
幽霊の姿は、髪がバサっと後ろになびき、手が前に出て、足がありません。これは「過去に起きたことに後ろ髪を引かれて後悔し、未来を恐れて手が頼りなく前に出て、その結果、現在の地に足がついていないことを表しています。」とは、「普段着の仏教講座」での早島英観僧侶の言葉です。つまり心ここに在らずになっている、私たちの心の状態だと言う訳です。
これを踏まえて、仏教は「いま・ここ・私」に対して、しっかりと気づきを向け、地に足のついた心の状態になるための理論と実践方法なのだと説いています。
2.「道」から学ぶ、持続的な価値観継承の仕組み
日本には、華道・茶道・剣道・柔道からマンガ道やラーメン道まで、様々な「道」が有ります。
「道」の共通点は、技を習得するために「型」から入ると言う習得スタイルです。入門すると初心者は、基本の型を身体が覚えるまで、理屈抜きに繰り返し修練します。
型から入る「道」は、今となっては時代遅れと感じるかもしれません。
しかし、それは効率つまり短期習得を目指していないからです。
人に説明されて理解しても、他人の言葉による定義でしか有りません。価値観を継承するには、他人事ではなく「自分で気づき自分のものにする」必要があると言う考え方が基本にあります。
体が覚え習慣になるぐらい、繰り返し身につける事で、その意味合いを自ら気づき、その価値観を他者に勧めると言うプロセスが、継承には大切と言うことではないでしょうか。
3.西洋哲学と仏教(=東洋哲学)との違いを超えて
西洋哲学は「学」、東洋哲学と言える仏教では「教」と捉えることができるといわれます。
西洋哲学は、数学に代表される論理的思考を前提として、世界の本質を言葉で理論的に解明しようとしています。これに対して、東洋哲学は、論理的整合性よりも「いかに生きるか」「いかに会得するか」と言う人生の実践に重点が置かれています。仏教の一派である禅宗には、悟りは文字や言葉で伝えられるものではなく、師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるとし、真理を悟るには修行によるしかないとされています。
アメリカ西海岸発で世界に広まった「マインドフルネス」は、理性や論理的思考だけでなく、「実践を通して本質に近づこう」とする仏教思考に近い事は、広く認められています。
このように西洋哲学の論理偏重ではなく、仏教の宗教色・修行偏重でもない、心を整える第3の方法【東洋哲学・道】があるのではないでしょうか。
都市において、自分を内省する「シン自縁」インフラになる、「ワンダー【自感】ミュージアム」としてのお寺の位置付けが、浮かび上がってくると考えます。
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