【内容】
珍品陳列室から博物館へ
博物学による命名と分類
博物館・美術館として「開放後」も
1.珍品陳列室から博物館へ
「ミュージアム(museum)」の名前の語源は、ギリシャ語で「ムセイオン(museion)」といわれ、学術・芸術の女神「ミューズの館」を意味するロマンチックな語感を持ちます。
一方で、その中身は、16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパの王侯貴族が、自らの邸宅内に競って設けた「珍品陳列室(cabinets of curiosities)」が「祖型」だと言われています。
その名の通り、珍しいもの、人の驚きを誘うものを、一堂の元に寄せ集めて飾った空間で、大航海時代を通じて、非ヨーロッパ世界からもたらされた器物も、多く含まれていました。
異国の器物を一堂に集めてコレクションすることは、「世界の縮図(ミクロコスモス)」を表し、その持ち主の世界に対する該博な知識と、所有する力とを誇示する意味があったのです。
時代が成熟するにつれ、これらのコレクションは、人工物と自然物に大別され、さらに人工物は、金銀宝飾品や貨幣・機械類、絵画・工芸品などに分類され、自然物は、動物の歯・骨、珊瑚・貝殻、化石・鉱物などに分けられるようになります。
17世紀後半になると、コレクションは、美術品系と自然産物系との分化が進みます。
王侯貴族は主に美術品系を集め、学者や医師は自然産物系の標本を集めるという傾向が際立っていくのです。
2.博物学による命名と分類
18世紀に入ると、スウェーデンのカール・フォン・リンネによって「博物学」が確立されます。
博物学の革新性は、「博物学とは可視的なものに、名前与える作業なのだ」という言葉で表される通り、あらゆる自然物を「命名と分類」しようとする価値観にありました。
動・植物界が、「界(キングダム)」「綱(クラス)」「目(オーダー)」「属(ジーナス)」などと、体系的かつ階層的に区分されていったのです。
生物界が、近代の社会の組織や百科事典と同じ視座のもとで、分類・再編され、植物園や動物園として整備されていきます。
雑然とした事物を、「表状」の区画の中に配列していくという、体型的な整理・分類が、「知の手段」であると同時に、「権力・支配の表現」とされました。
3.博物館・美術館として「開放後」も
18世紀後半の近代市民社会の成立とともに、主として自然標本のコレクションを国民に公開する目的で設立されたのが、ロンドンの大英博物館(1753年創設)であり、美術品のコレクションを開放したのが、パリのルーブル美術館(1793年開館)です。
ただ、ルーブル美術館では開館当初から、一人の作家の絵が一つの区画に収められ、流派(スクール)や時代による分類と整理を元に、展示されていました。
様々な天才の「作品」が、特定の国・特定の時代を代表する、西洋美術史の「トピック」として表現・分類された「近代西洋の博物学的な鑑賞スタイル」なのです。
ルーブル美術館を起点にして、300年以上経った現代でも、ほとんどのミュージアムでは、この「美術鑑賞スタイル」が、引き継がれているのです。
次世代のミュージアムでは、「18世紀型の博物学的な鑑賞スタイル」以外の、ミュージアム体験が求められているのではないでしょうか。
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