【内容】
近世の不動産業
近代の不動産業
戦後の不動産業
1.近世の不動産業
不動産業の歴史は古く、2500年前の古代ギリシャには、「不動産」や「抵当権」の概念があったという記録が残っています。
当時からあった土地には、「所有権者」を示すために石でできた杭が打たれていたと言います。
日本における不動産業の始まりは、江戸時代の「長屋」だといわれます。
長屋とは一棟の建物に複数世帯が居住する集合住宅です。
それ以前の土地所有者は貴族や武士でしたが、これら支配層の弱体化に伴い、商人が土地を購入し、長屋を建設して、庶民に貸し出すことで、家賃収入を得るようになりました。
ほとんどの場合は、本業とは別の「副業」として長屋経営をしており、本来の持ち主が「大家さん(差配さん)」と呼ばれる管理人を雇い、家賃の回収や建物の修繕といった長屋の管理を任していました。
現代の管理会社の役割を担った「差配さん」ですが、家賃回収だけでなく、店子(借主)のプライベートな相談に乗って解決したり、より生活に密着したサポートが行われていたと言います。
2.近代の不動産業
明治維新を経て明治時代中期になると、不動産専業の事業者が生まれてきます。
三菱は、1890年に陸軍省から東京・丸の内一帯の土地約35万m2の払い下げを受け、ビル街の建設・経営を進めます。
安田財閥系の東京建物は1896年に創業し、住宅ローンの原型となる「割賦販売方式」で不動産売買を開始しています。
明治末期になると箕面有馬鉄道(現 阪急電鉄)が、池田住宅地開発をはじめ、阪神電鉄は西宮住宅経営を開始しています。
昭和恐慌により、多くの中小企業などの倒産で、所有不動産の売却を望む声が増え、銀行などの金融機関が大量の「担保流れ不動産」を抱えることになり、不動産の斡旋・売却が進むことになります。」
このように時代の変化に伴い生まれてくる、「土地活用ニーズ」と「土地需要ニーズ」とを柔軟にマッチングしていく事で、民間の不動産業は成長していきました。
3.戦後の不動産業
第二次大戦後が終わり、戦争で家を失った人、疎開先から帰ってきた人、外地からの引き上げ人などで、売家、貸家、貸間の需要が一気に膨らみ、人々は物件探しに奔走します。
この戦後復興期には、悪徳業者の発生や取引トラブルの多発などで、不動産業界は批判を浴びるようになり、これを受けて1951年に「宅地建物取引業法」が制定されます。
1950年後半には、衣食の充足を得た人たちのマイホーム・ニーズが高まり、大都市近郊での宅地開発、建売住宅分譲などの宅地ブームが生まれます。
それまで都市部のビル経営を中軸にしてきた大手不動産企業や系列企業が、1960年代に入ると、宅地開発、建売、マンションに参入するようになり、1970年代には流通・仲介分野にも進出することで、総合不動産業(ディベロッパー)の形態を取り始めます。
1980年末のバブル期には、株式や不動産価格が猛烈な勢いで上昇します。
この時期には、金融機関の積極融資を背景に、他分野企業も不動産業に参入し、不動産投資が活発化していきます。
購入した土地がどんどん値上がりすることから、「売却益(キャピタルゲイン)」が不動産収入として重視されました。
しかし経済格差や悪質な地上げが社会問題化し、政府の不動産向け融資の引き締め策によって、1991年にバブル崩壊を起こします。
バブル崩壊後には、低迷する日本経済の活性化策として、民間事業者による都市再開発事業の積極的な推進に大きな期待が寄せられました。
2002年には「都市再生緊急整備地域」がスタート。2011年には「総合特区制度」が、2013年には「国家戦略特別区域法」が設けられます。
高度成長期までの不動産業が、市場経済に沿った形で成長してきたのに対し、バブル期には「キャピタル・ゲイン」を求めての投資手段として、そしてバブル崩壊以降は景気振興策として、積極的な後押しがあった事がわかります。
そして不動産業は、人口減少、デジタル化、コロナ禍の転機を迎えています。
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