【内容】
佐渡「鬼太鼓」ステイ
「体験」のゴール
日本文化の「修行体験」
1.佐渡の「鬼太鼓」ステイ
「鬼太鼓」とは、新潟・佐渡の120もの地区で伝承されている伝統芸能です。
鈴木涼太郎氏を中心としたグループでは、2009年から毎年 神奈川県の大学生が参加する芸能体験プログラムを実施していました。
夏休みの約1週間に佐渡に滞在し、地区に伝わる鬼太鼓を学び、芸能祭の本番で披露するというもので、束の間の「師匠と弟子」の関係が構築され、真摯な交流がもたらされるということです。
従来の体験プログラムから、一歩踏み込むことで、参加者が「真正な観光経験」を得ることができ、(特別扱いでも)コミュニティの一員として受け入れられ、体験後も「ただいま」「おかえり」の関係が維持されると報告されています。
受け入れ側でも、短期間での習得に向けて、伝統芸能を体系化・言語化するという機会を得たと言います。
「一時的な楽しみ」であるからこそ、日常生活への負担が軽減され、継続性を持つ点も特筆されます。
2.「体験」のゴールを考える
「体験」のゴールは、どこでしょうか?
「わかる(=認識する)」だけでは、再現性につながらないため不十分で、「そうか」と理解するだけではなく、当たり前にできるように「体得する」ことが、本来のゴールでした。
そして体得には、いわゆる「ラーニングカーブ」「アハ体験」と言われるものが有り、一定期間の習熟が必要になります。
自転車やギター、茶道など様々な体得体験が例示されますが、今まで見えなかった「景色」が、ある水準を超えると、急に「見える様になる状況」が「体験」のゴールと言えます。
「体得(=見る目が変わる)」ことをゴールにすると、「学び」には、受動的に与えられるものではなく、主体的な行動が必要になります。
脳化社会におけるインプット偏重ではなく、身体性を伴う実践(=アウトプット)による習熟が重要ということです。
そして何より学ぶ姿勢が重要になります。
古来からの箴言に「我以外皆我師(自分以外の人でもモノでも皆、自分に何かを教えてくれる先生だ)」と言う言葉こそ「学び」の姿勢を表しています。
日常の中のあらゆる事象との関わりを、これまでの知識と経験から想像する事、身体で実践し知覚し考える姿勢が、重要なのです。
脳化社会の進行した都市では、このプロセスを割愛した「コトだけ」を流布する風潮が強くなっている事が懸念されます。
3.日本文化の「修行体験」
この様な視点は、「わかりにくい」「ハイコンテクスト」と言われる日本の文化体験と親和性があるのではないでしょうか。
冒頭の佐渡の鬼太鼓の様な「お祭り」がわかりやすいです。
2016年には「秩父祭りの屋台行事と神楽」「高山祭の屋台行事」など33件の「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。(「京都祇園祭の山鉾行事」と「日立風流物」は2009年登録)
そして2021年には、「男鹿のナマハゲ」を含む、全国の来訪神行事10件が、「来訪神:仮面・仮装の神々」として、登録されています。
全国に約30万あると言われる日本のお祭りは、地域社会の安泰や災厄防除を願い、地域の人々が一体となって執り行う行事として、国際的に認められたコンテンツです。
単に見物だけでなく、「参画&ステイ」プランが有効です。
そのほかにも、「瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前」などの「六古窯」をはじめ各地に残る焼物。「指物(さしもの)」「刳物(くりもの)」「彫物(彫り物)」「挽物(ひきもの)」「曲物(まげもの)」などの多彩な技法のある木工芸。「西陣織」「結城紬」「小千谷縮」などの織物。「江戸切子」や「津軽びいどろ」などのガラス細工など、伝統工芸分野だけでも、枚挙にいとまが、ありません。
もちろん茶道、華道をはじめ、邦楽、香道、書道、歌道、煎茶道などの芸道では、既存の修得段階をコンパクトにすることで、「修得プログラム」を作成可能です。
各地で盛んな「蕎麦打ち道」や「ご当地ラーメン道」から、「サムライ」「ニンジャ」「修験道」なども企画できます。
参加する側、受け入れる側の双方が、真摯な態度でアップデートすることによって、新しい信頼関係が生まれます。
工芸と滞在とを組み合わせた「クラフト&ステイ」などのパッケージのように、「1週間程度の修行体験プログラム」は、観光としての体験の次のステージとして、非常に有効だと考えます。
単に「観光体験」から、滞在期間における「プチ・コミュニティ体験」が、関係人口の創出につながるのではないでしょうか。
これらの「参画&ステイ」メニューは、地域の宿泊事業者との連携によるパッケージ化が有効です。
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