【内容】
老舗の超大国
日本の会社の成り立ちと推移
1.老舗の超大国
日本は世界に冠たる「老舗超大国」だと言われます。
世界最古の会社である「金剛組」という建設会社は、創業1400年になります。
聖徳太子による四天王寺建立に際して、招聘された百済人:金剛重光が設立しました。
この金剛組を筆頭に、1000年以上7社、500年以上32社、200年以上3146社、100年以上33,067社(世界の8割:2010年)に上ります。
世界全体での創業200年以上の会社は、約5500社と言いますから、半数以上が日本の会社になります。
2位のドイツが837社、オランダが222社と続きますが、圧倒的に日本の老舗が多いことがわかります。
日本が老舗大国になった大きな秘訣は「家督相続制」にありました。
戸主が亡くなった場合に、長子(主に長男、関西では女系も有った)がその権利と義務を一人で継承・相続するというもので、この場合の相続税も優遇されていました。
日本における会社は、「同族存続主義」であったことがわかります。
家督相続制は、戦後には、法律上も社会通念上も消滅し、当然の結果として、後継者難で消え去っていく老舗企業が多数ありました。
2.日本の会社の成り立ちと推移
江戸時代には、商業、酒造業、製薬業を中心に多くの会社が創業します。
「堅実と正直」をモットーに家業として経営されました。商家においては、従業員は奉公人と呼ばれ、丁稚、手代、番頭、暖簾分けという、育成・昇格システムが根付いていました。
明治時代に入ると、国を挙げて工業化・近代化が図られます。輸出産業として興隆した繊維産業を中心に、従来の製造業でも近代化が図られます。また従業員も、一族の子弟ではなく、「高等教育機関で学んだ人材を登用する事」が一般化しました。
大正〜昭和初期には、大戦景気で造船・重工業の隆盛を誇るようになります。都市の労働人口が増加し、その後の大恐慌時に企業の再編、産業転換が進みます。
戦後の農地改革と財閥解体で、中小企業が設立・育成が促されます。また労働組合活動が盛んになり、企業労働者の生活向上に反映されました。
高度成長期には、約20年間に亘り、年平均10%の経済成長が続きます。技術革新による大量生産が進み、自動車・機械・化学産業が隆盛し、「終身雇用」と「年功序列」を元にした日本型経営が定着しました。
バブル崩壊とグローバリズムの進展とともに、勤続年数や年齢に応じて、役職や賃金が上昇していく人事制度を撤廃し、実力主義を打ち出す企業も増えます。日本型経営の崩壊です。
江戸時代の奉公人制度から、新人採用し、教育・研修制度を充実させてきました。
「バブル崩壊とグローバリズムの進展」までは、すぐに辞めるのではなく、長く勤めることを前提にして「人材を育てていく仕組み」だったことが分かります。
この様に日本における「会社」は、「存続」と「育成」が主軸にした経営だったのです。
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