全国の神社仏閣が、コンビニの2.5倍もあることは、前回触れましたが、なぜそこまで社会に浸透し、増えたのか?について、その歴史を踏まえて検討します。
【内容】
自然崇拝から始まる
仏教伝来と神仏習合
社寺の保護と仏教制圧
政策としての寺請・檀家制度
国家神道と廃仏毀釈
GHQと神道司令
1.自然崇拝から始まる
古代、大木や巨岩あるいは山などは、神さまが降りられる場所、鎮座される場所とされました。その周辺を神聖な場所として、臨時の祭場を設けるようになり、さらに風雨を凌ぐために建物が作られます。これが神社の始まりです。
力のある豪族などが、自分たちの氏神を祀るために「社」が建て、その頂点が天皇家ゆかりの伊勢神宮になったのです。
2.仏教伝来と神仏習合
大化の改新後は、仏教が興隆し、神道と次第に接近します。
諸国の神社に付属する寺院を設け、そこに僧侶を置き「神宮寺」となりました。
神仏習合は平安時代になると、さらに進化し、仏が主で神が従というように、立場が逆転します。
今度は寺院を守るために、寺院境内に鎮守の神が祀られるようになります。
平安初期までは、人々の神社信仰は、各々の土地の氏神信仰が中心でしたが、平安中期以降は、稲荷、八幡、天神、神明など霊威ある神々が、地域を超えて祀られるようになります。
3.社寺の保護と仏教制圧
戦国時代になると、各大名は基本的には社寺を保護し、社殿の造営などで信仰を示しました。しかし一方で、延暦寺や本願寺などは、兵力を持ち政治的な干渉したため対立し弾圧されます。
その上で、検地と刀狩りの実施によって、自立した力を奪われ、中央集権的な封建体制に組み込まれていきます。
4.政策としての寺請・檀家制度
江戸幕府は、キリスト教の広がりを恐れ、仏教を国教化しました。民衆は「自分がキリシタンではない」ということを、寺院の住職に補償してもらう「寺請制度」を義務づけます。
寺院は幕府の出先機関のような位置付けになり、人々は檀家として、盆や彼岸のお参りや葬式・法要、そして寺院修繕の寄付などが義務付けられ、寺院経営を下支えします。
5.国家神道と廃仏毀釈
明治政府は、明治維新を経て、天皇を頂点とした国家神道を提唱し、神仏分離令と寺請制度の廃止を命じます。
それまで寺院の傲慢な態度に不満を募らせていた民衆は、仏教を排斥し、寺などを壊す廃仏毀釈運動が高まりました。
6.GHQ の神道指令
第二次大戦後はGHQ により、「神道指令」が出されます。
軍国主義につながるとして、国家神道の廃止と政教分離が命じられ、公的機関による神社への支援・資金援助が禁止されます。
このように日本の二大宗教は、各時代の政権の意向によって、興隆と衰退とを繰り返してきました。時代の荒波を乗り越えて、今日の状況にあると言うことです。
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