【内容】
消費経済で希薄になる関係性
「街歩き」行動で、体験・関係を取り戻す
「街歩き」が街を変える、未来を変える
1.消費経済で希薄になる関係性
日本社会の成長・成熟につれて、都市の街並みは確かに美しくなりました。
その反面、道端の屋台はそのほとんどが、取り締まられて姿を消してしまいました。
路上ライブやストリートダンス・大道芸などのパフォーマンス行為は、規制の対象になって、予め設定されたスペースでのみ可能とされています。
ボール遊びは、路上はもちろん公園でも禁止されることが増えました。
このように都市における屋外活動は、どんどん締め付けが厳しくなり、飲食やスポーツは、お金を払って「消費者」の役割を果たさなければ、認められなくなってきています。
都市の中の活動は、消費経済というルールに沿って、「提供側」と「受容側」という関係で埋め尽くされてしまっているのです。
客だから、消費者だから、商品・サービスを提供されて当たり前と言う「受動的な姿勢」は、一度築かれてしまうと、なかなか見直すことが難しくなります。
この関係や姿勢でいる限り、街における出会いや体験は表層的になり、街への愛着も生まれないのではないでしょうか。
2.「街歩き」行動で、体験・関係を取り戻す
「街歩き」は、都市の屋外空間で「奨励されている」数少ない自由行動と言えます。
街歩きという自由行動を起点に、「街を楽しむ作法」を拡げて行ってはどうでしょうか。
新しい屋外活動や交流を通じて、街での体験と関係性が蓄積されていくと、街への愛着が高まっていくと考えます。
「街歩き」をしながら、多様な人々の営みを眺めたり、知己との対話や偶然の出会いを楽しみながら交流できたり、突然のハプニングを含めて出会いや発見を通じて、ワクワクできたりする事こそ、リアルの都市の魅力であると考えます。
企業による公式な活動よりも、個人的で非公式な自由行動や体験が、物語となり街の文化として蓄積されていくのです。
街歩きの自由行動が、習慣化されると、そのニーズに対応したビジネス・サービスが生まれ、そのサービスの容れ物として、施設が整備されます。
「街歩き」から「ストリートや街の再生」に繋がっていくことが期待されます。
3.街歩きが、街を変える、未来を変える
「街歩き」を起点にした「都市の屋外活動」に対応して、「機能や環境が整備」されると、街が変わっていきます。
近代都市は、確かに人間に文明として「合理性と利便性」とを与えてきました。
しかし一方で、日本では、「いヤァー、ウチの街には何にもないから。。。」という自虐的なコメントをよく聞きます。
海外の街では、「我が街の自慢の〇〇」「この街の〇〇を誇りに思う」などの愛情あふれる言葉が飛び出すこととは、好対照です。
「愛する事」の反対言葉は、「嫌い」ではなく「無関心」だと言います。
逆に言えば「愛することとは、関心を寄せる事」だと言えます。
「街歩き」を通じて、街に関心を持つ人が増え、街を面白がれる人が増え、街をアソブ人が増える事によって、街への愛着・シビックプライドが醸成されるのです。
「シビックプライドの第一歩は、街歩きから」ということではないでしょうか。
これからは人間が、文化として土地の曲を生かしながら、街のコンテンツを上書きしていく時代です。
街歩きを通じて、個人と個人とが、お互いに情報を受発信し、輝き合えるようになります。その結果、総体として人間と都市とが、輝き合える状況こそ、次世代の都市づくりのゴールであると考えます。
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