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道の駅の歴史と沿革 シン・道の駅 ③

執筆者の写真: adminadmin

【内容】

  1. 「道の駅」という発想

  2. 「道の駅」の沿革

  3. 「道の駅」第三ステージ

 

 

1.「道の駅」という発想

今は馴染みのある「道の駅」という名称ですが、その発端は1990年1月に広島市で開催された「中国・地域づくり交流会」で、参加者から「鉄道に駅があるように、道路にも駅があっても良いのではないか」という意見であったとされています。

このような意見の背景には、高速道路においては、サービスエリアやパーキングエリアなどが整備されてきましたが、一般道路ではドライブインなどの民間施設しか整備されて来なかったという状況がありました。

自動車交通の増加とドライバーが多様化する中で、疲労に伴う交通事故の防止や道路利用者へのサービス向上を図るため、一般道路にも公的な休憩施設があっても良いのではないかと言うわけです。

 

2.「道の駅」の沿革

1991年には山口県、岐阜県、栃木県において、仮設の休憩・案内施設を用いた「道の駅の社会実験」が始まりました。

その成果を踏まえて1993年度から始まった「第11次道路整備5ヵ年計画」の施策の一つに位置付けられ、「道の駅」の登録・案内制度が創設されます。

1993年4月には全国に103駅が登録され、年々増加し1999年度には500駅を超え、2013年度には1000駅、約30年が経過した2024年8月現在の登録件数は1221駅となっています。

量の拡大に伴い、道の駅の質的な進化も進んでいます。

社会実験の当初から、試みられてきた農産物直売所、特産品販売所、地元食材を用いたレストランなどの「地域振興機能」の人気は高く、新鮮な野菜や果物、魚介類などを目当てに地域内外から多くの人が訪れるようになっています。

また行楽施設や体験施設、温浴施設、宿泊施設など様々な施設を複合させて、集客に力を入れる道の駅も増えてきています。

道の駅を拠点にして周辺エリアをドライブするスタイルも定着しています。

道の駅自体が「目的地」となる取り組みが展開されてきたのです。

さらに近年では、既存のレジャーパークが「道の駅」として再生するケースも増えています。

「道の駅神戸フルーツフラワーパーク大沢」は、1993年に開園した神戸フルーツパークの営業不振後に「道の駅」として再生した事例ですし、「道の駅うつのみや ろまんちっく村」も、元は宇都宮市の市制100周年記念事業で生まれたレジャー施設でした。

「道の駅」化するレジャー施設は、地方自治体・第三セクターなどの施設で、業績不振で赤字経営に陥っていました。

赤字の運営主体を清算し、新たな指定管理者による収益性の改善する機会として「道の駅」が活用されているとも言えます。

「道の駅」のブランド化だと言えます。

 

3.「道の駅」第三ステージ

国交省では、道の駅の役割は下記の3つのステージで整理され、現在は第三ステージの途上にあるという認識です。

  1. 第一ステージ(1993年―)

道路利用者のサービス提供の場としての役割

  1. 第二ステージ(2014年―)

地域が抱える問題点・課題を解決するなどの役割が拡大。

  1. 第三ステージ(2020年―)

地方創生・観光を加速する拠点となるため、さらなる取り組みを実施

「道の駅を世界ブランドへ」:外国人観光案内所の認定やキャッシュレス・観光MaaSの導入

「新防災道の駅が全国の安心拠点に」:広域滝な防災拠点となる道の駅の認定、BCP策定や防災訓練などの実施。

「あらゆる世代が活躍する舞台となる地域センターへ」:子育て応援施設の併設、自動運転サービスのターミナル、大学などとの連携。

道路利用者の利便施設からスタートした道の駅ですが、一種の社会インフラ化しつつあります。

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