top of page
検索
  • admin

都市公園の未来 ⑩ 結局なんのための公園なのか

近年の都市公園は、P-PFI や立体都市公園など「手法」の議論ばかりになってしまっています。財政難の中で、とにかく整備・管理コストが必要なことは理解できますが、なんのための公園なのか?次世代の都市公園に誰が何を求めるのか?という根本ニーズが置き去りになっている気がします。これまでの考察の中で「①新たな整備・管理コストの捻出」の他に、コロナ禍に伴う都市のあり方の中で「②新たなユーザー、利用ニーズへの対応」、禁止事項ばかりの公園にしないための「③近隣住民の理解と支えが不可欠」、より上質な環境サービスの提供のための「④公園とテーマパークとの中間的な半主体性、費用分担の容認」、そしてこれらの要因をバランスさせる「⑤柔軟な運営スキルの獲得」などの課題が浮かび上がってきました。

禁止事項の増加、安易な消費行動の浸透、周りと足並みを揃えた行動様式などはいずれも社会が効率化・合理化を追求した結果、陥ってしまっている思考停止状態と言えます。今必要なスタンスは、少し乱暴かもしれませんが、「都市で暮らす作法と工夫:新しい公共のあり方」を考える事と総括できるのではないでしょうか?「都市公園の未来」というテーマは、官まかせではなく、タダ乗りでも搾取でもなく、どのように支えあうのか?という「新しい公共」の教育機会でもあると考えます。

公園は道路や河川のように確たる用途が無い分、最もソフトな公共空間だと言えます。それだけに公園に関わる人たちの民度によって如何ようにでも、整備・運営の方針が設定可能になります。誰も何にも使えない空間にするのか?ショッピングセンターの中庭のようにするのか?あるいは都市のリビングのような場所にするのか?は関係者次第と言えます。

公園はコロナ禍を経て、オンライン1st時代のリアルな都市の価値を方向付ける、大きな存在になると考えます。単に芝生や樹木があるだけでなく、子どもの遊具があるだけでなく、これからの都市のユーザーであるワーカーやプレイヤーの、生活の質を高めるための設えが求められ、その実現・継続のための関係者の理解と支えが不可欠になります。

オンライン1st時代の交感・発信活動は、予定調和的でプレーンなホワイトキューブ環境で行うよりも、自然の変化とともにセレンディピティと感動に溢れた環境の方が効果的です。つまりオープンな都市舞台の方が、高い価値を獲得することが可能です。都市ユーザーが輝き合える機会として、都市公園が成立するとき、「新しい公共」が結晶化して見えてくるのでは無いでしょうか。


最新記事

すべて表示

【内容】 消費経済ルールではない関係性づくり 静脈系の価値提供で「半分になった世界を取り戻す」 身体系プラットフォームで、都市も社会も変わる 1.消費経済ルールではない関係性づくり 都市の街並みは美しくなったのですが、その反面、道端の屋台はそのほとんどが取り締まられて姿を消してしまいました。 路上ライブ・ストリートダンスや大道芸などのパフォーマンス行為は規制の対象となり、予め設定されたスペースでの

【内容】 ヨガの可能性 遊んで仕事もできるヨガスタジオ ヨガ・ライフへの展開 1.ヨガの可能性 身体性を拡張するためのもう一つの都市施設が「ヨガ・プラス」の提案です。 東洋哲学としての仏教は、身体性実践主義として体系化されているのですが、現代の日本においては、どうしても「宗教=怪しさ」が付き纏い敬遠されてしまいます。 マインドフルネスが持て囃されたのも、禅的要素から、宗教色を削ぎ落としたからではな

【内容】 身体性が失われる都市環境 「身体ルネサンス」スタイルの重要性 「身体ルネサンス」ための生活プラットフォーム 1.身体性が失われる都市環境 これまでの論点を整理すると以下の5点になります。 都市の「脳化社会」化と、無思考社会の弊害 「身体性」を生かした「実践・知覚・学習」こそが、AIとの差異。 身体性の再生には、東洋的な身体性実践主義の見直しが有効 五感、特に触覚的な質感を失った現代都市

bottom of page