top of page
検索

マチ屋根ひろば 縁側ストラクチャー ⑧

  • 執筆者の写真: admin
    admin
  • 2023年8月28日
  • 読了時間: 3分

1.六本木ヒルズのクリスマスマーケット

2.街の居間になるアオーレ長岡のナカドマ

3.街の中心となる「マチ屋根ひろば」



1.六本木ヒルズのクリスマスマーケット

東京の冬を彩る六本木ヒルズのイルミネーションと共に非常に印象的なのが、大屋根プラザで開催されるクリスマスマーケットの祝祭感です。

日比谷公園や各商業施設のアトリウムでも開催されるのですが、公園などの屋外ではそれなりにしっかりと小屋を作る必要があり、アトリウムではどうしても閉鎖的になってしまいます。

六本木ヒルズの場合は、大屋根の下だから、各店舗の防水仕様も軽やかで、繊細なマーケットの作り込みが可能になり、開放的で様々な人が立ち寄れる雰囲気になっているのです。

天候に関係なく利用できる「利便性」と、様々な人たちが気軽の立ち寄れる「開放性」とを併せ持つ「大屋根ひろば」は、雨の多い日本では非常に有効なのではないでしょうか。

アークヒルズのカラヤン広場、恵比寿ガーデンプレイスのセンター広場、コレド室町テラスの大屋根広場など、近年の複合都市開発では、その中心に「大屋根ひろば」を設ける計画が多くなっています。

東京以外でも愛知の太田川駅前広場や大分市駅前の祝祭の広場など、大屋根広場の事例が増えています。


2.街の居間になるアオーレ長岡のナカドマ

さらに居心地が良い空間になっているのが、新潟県長岡市にあるアオーレ長岡の「ナカドマ」です。

先に事例を挙げた隈研吾氏の設計で、市役所とアリーナに囲われた「半屋外の屋根付き広場」になっています。

高校生たちが放課後に立ち寄って、立ち寄り宿題をしたり、駄弁っていたりするなど、イベント時以外にも、気軽に立ち寄れ、いつも人が屯しています。

上記の「大屋根ひろば」が持つ「利便性」と「開放性」に加えて、建物に囲われ、人に見守られる「安心感」が、さらに居心地の良さを作り出し、「街の居間」のような場所になっています。

同様の施設は、富山グランドプラザ ハピテラス福井などが挙げられます。

さらに街づくり団体による管理体制も、柔軟で居心地の良い空間づくりに一役買っているのではないでしょうか。


3.街の中心となる「マチ屋根ひろば」

賑わいが人を呼び、楽しむ人を見ることが、都市の特徴です。

完全な内部空間としてのアトリウムでは、閉鎖的な「私的」スペースになってしまいます。

広場の賑わいや騒めきが、街全体の活気を生み出すためには、「公共性」「開放性」と日常的な動線との「回遊性」が必要です。

イベント開催だけが目的ではありませんが、様々なイベントを伴う日常的な賑わいがあるからこそ、多様な人が集い交流する広場になります。


「大屋根ひろば」や「半屋外の屋根付きの広場」は、雨の多い日本において、「利便性」と「開放性」とを併せ持ち、都市の中心となる中間領域のモデルになると考えます。

「準建築的な居場所」として、「マチ屋根」の設えがあれば、たとえ私有地であっても「私たちの広場」と認識される様になります。

街の中心、街の居間となる「マチ屋根ひろば」の創造です

 
 
 

最新記事

すべて表示
共体験研究の変遷 共体験デザイン ③

【内容】 第1章 共体験研究の萌芽と概念の確立 第2章 共体験の社会的接合と都市研究への展開 第3章 共体験の測定・検証と都市開発への統合   第1章 共体験研究の萌芽と概念の確立 都市開発における「共体験」の研究は、1960年代から80年代にかけて、公共空間における人々の行動観察から始まりました。 ウィリアム・ホワイトの『The Social Life of Small Urban Spaces

 
 
 
共体験の定義 共体験デザイン ②

【内容】 第1章 「共体験」とは何か 第2章 都市開発における共体験の広がり 第3章 都市開発での実践方法   第1章 「共体験」とは何か 「共体験(Co-experience)」とは、複数の人が同じ時間や場所で体験を分かち合い、その中で互いに感情や意味を育てていくことを指します。 例えば、一人で食事をするのと、友人や家族と一緒に食事をするのとでは、同じ料理でも感じ方が違います。 それは、周りの人

 
 
 
今なぜ 共体験なのか? 共体験デザイン ①

【内容】 第1章 社会的背景と都市における共体験の必要性 第2章 経済的・技術的背景からみる共体験デザインの価値 第3章 多様性・実務性を踏まえた都市開発の新たなインフラ     第1章 社会的背景と都市における共体験の必要性 現代の都市は、人の数こそ多いものの、匿名性が強まり個人は孤立しがちです。 都市生活者の多くは、道を行き交う群衆の中で互いに接触することなく、ただ通過していく日常を過ごしてい

 
 
 

コメント


bottom of page